坂出二日目です。いよいよ、白峰寺に向かうことに。
雨は降り止みません。ただ、暑いことを覚悟していたので、雨のおかげで気温は上がらず、歩きやすいので、かえってラッキーかも。写真は撮りにくいけど。
かんぽの宿坂出から下りの坂で約10分くらい。思ったとおり近くて楽です、
お遍路さんは下からこの道を徒歩で上がってくるんだよね。大変です。
[4回]
宿からの道すがらにあった十三重の石塔です。なんでも源頼朝が崇徳天皇の菩提のためにたてた供養塔だとか。
頼朝塚とも呼ばれているそうです。平家追討の成功を祝ってか。しかし
保元の乱では頼朝の父義朝は崇徳院に敵対する立場だったはずで、それだけに頼朝は怨霊を恐れたのか。
なかなかに深いお話。
石塔の周りにはたくさんの石仏。西国三十三観とあります。石仏には西国三十三所巡礼の寺の名前が刻まれています。
多分、この石仏の観音様をお参りすれば、三十三所巡礼に出たのと同じ御利益が、ってことでしょう。
紫陽花とともに雨にぬれる石の観音。風情です。
さらに道なりに行くと、お大師様の像と稲荷神社。
南無大師遍照金剛。(真言宗でのご宝号です。真宗で言うところの念仏みたいなもの)
雨に立つ、第八十一番札所白峰寺です。しろみねじと発音します。(しらみねかと思っていた(^^;;;;。)
五峯(黄峯・白峯・赤峯・青峯・黒峯)からなる 霊峰五色台のひとつ白峰に位置する名刹です。
山門もなかなかに珍しく面白い建築です。高麗様式だとか。
飾ってあった四国遍路のポスター。ううむ。このサイズ比だと進撃の巨人遍路?
この白峰寺、とても敷地も広く立派なお寺で、見所はいっぱいあるのですが、今回は崇徳院を訪ねての旅ということで、ゆかりのある場所を中心に載せていきます。
崇徳院のご廟所の頓証寺殿山門です。
何故か左側に巨大わらじがあるのが印象的。
こちらが頓証寺殿。
中央に崇徳天皇の御霊、向かって左は鎮守白峯大権現、向かって右は御念持仏十一面観世音を祀る、とあります。
崇徳院と呼びならわしていますが、坂出にいるとどこも崇徳天皇と書いてあります。
生前は讃岐院、新院とよばれ、後に怨霊としての噂がおこり、鎮めのため崇徳院の称号が贈られたと聞いていますが。玉座にあったことが大切なので、天皇であることが大事なのか。
雨の中、どなたかが般若心経を唱えられている声が境内に響いていました。軽装でしたが、もしかしたら住職の方かもしれません。
頓証寺殿の横にたたずむ天狗の像。白峯山の相模坊大権現だそうです。もともと山岳仏教の地白峰の神であり、数多の崇拝を受けていたのですが、崇徳院の守護神とも言われているとか。
なるほど崇徳院といえば、天狗とは浅からぬ因縁。
「保元物語」では舌を噛み切って血で写本に「日本国の大魔縁と なり、皇を取って民とし民を皇となさん」(魔縁とは天狗のことです。)と書いて、生きながら天狗になったとありますし、「太平記」をはじめとする数多くのフィクションでも大天狗として登場します。
いずれにせよ、天狗が人ならぬ霊異を持つものとして畏れられ、御霊と二重写しになっていったのでしょう。
崇徳院を思い、
よしや君 昔の玉の
床とても かゝらん後は 何にかはせん
と詠った西行の像です。
昔は玉座(天皇位)に座ったとしても、こうなってしまった後はなんとなりましょう。
寂しすぎる歌です。慰めにもならないというか。
「雨月物語」の「白峰」では、白峰御陵にて亡霊と対話し、平家の滅亡を暗示されたことになっています。
雨中、紫陽花と夏草の中に埋もれそうなこじんまりとした像でした。
そして、西行が亡霊と出会ったとされる崇徳院陵遙拝所。
さすが元武士の肝のすわった僧侶だわ。ここで夜明かしはかなり怖かっただろうに。
(怖かったからこそ、御霊とあった気がしたのかもしれませんが。)
石碑の文字はかすれて何が書いてあるのか読めません。
遙拝所といっても、木々に遮られて何も見えません。
社の屋根らしきは頓証寺殿のものだと思います。
白峰の木々が雨にうたれる音。
流れるせせらぎの音。
遠く瀑布の音。
野鳥(とり)の声
雨の匂い。
濡れる青紅葉。
紅葉の季節には、全山燃えるようでありましょう。
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