東京国立博物館の平成館で開催されています。
土曜日だったので、ものすごい人出を覚悟して行ったのですが、冷たい雨のおかげか、覚悟したほどではありませんでした。
※現在は、人出はどんどん増えて90分待ちなんて場合もあるそうです。NHKでも、ドキュメンタリーやってたしねえー(^^;;
もちろん、中は撮影禁止。許可を得て、垂れ幕だけ撮影させてもらいました。
興福寺の宝物の数々などの展示をみつつ、足はとにかく八部衆像に向かってしまいます。
疲労を慮ってのことか、残念ながら八部衆は全部は展示されていませんでしたし、国宝阿修羅像は他の八部衆像とは離されて別室でのVIP待遇。
ま、これがウリだからね。とはいえ、八部衆勢揃いの姿もなかなかよいのですが。
迦楼羅など、凄みと愛嬌とが共存する像を見つつ、ご本尊とも言うべき阿修羅へのもとへ足の歩みを速めます。途中でモニターによる阿修羅の姿が展示されていたりと、けれんの演出もたっぷり。
で、以前にダ・ヴィンチの「受胎告知」を見た部屋に、阿修羅は安置されていました。この部屋は二段になっていて、スロープを通りながら、遠くから展示物を見た後、近くに寄って見るという趣向になっています。(これは、絵や彫刻を見る上で大変に効果的な構造です。)
闇の中に、複数の照明に照らされて、神秘のヴェールをまとった阿修羅が仄かに光っています。
すんなりと伸びた、三面六臂の姿も華やかに。
何度も何度も見ているはずなのに、また思い新たにします。
スロープを降り、近寄っていきます。西域を思わせる姿ときらびやかな装飾品も、入念な照明の力でさらに光っています。
像のまわりを巡ることで、新たな表情が見えてきて、本当に興味深い。
憂い、微笑、瞋恚(いかり)、安息 老成した諦め、少年らしい初々しさ、人間的な煩悶(なやみ)、光を纏ったかのような神々しさ、幽かにひそめられた眉と、憂いに満ちた目が、内面の矛盾をあらわしているかのよう。三つのお顔は、千変万化。華麗な腕に隠されることでまた別の表情も見せます。
「修羅というのにそぐわなく、修羅というに相応しい」と光瀬龍が形容した実に美しい像です。
天平という時代に、かくも近代的な内面の複雑さを表した像が造られたということ自体がものすごいことのような。(阿修羅像は多々ありますが、通常は荒ぶる神の属性そのままに、怒りの形相凄まじいものです。)
その表情に何を読み取るか。こちらの心の状態を写しているのかもしれません。
いろいろなことを考えながら、何度も何度も巡りました。自分では気付かなかったのですが、「4回、回ってましたよ(微笑)」と友人に指摘されました。数えていたのね(笑)
福岡でも7月から
阿修羅展として、公開されます。こっちにも行きます。
最後に、常設展のほうも回ってから帰りました。上野の国立博物館は、常設展の充実も半端ではなく、本気で回ろうと思えば、一日かかります。
秋に見落としていた二階を中心に回って、満足して帰りました。
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