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酒とバラの日々 福岡を中心とした食べ歩き情報と、ワインやおつまみのレシピブログです。 国内、海外の旅行記もやってます。 Twitter:http://twitter.com/ariahisaeda

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平家物語の世界 闘鶏神社

田辺、翌朝。
次の目的地である高原に出発するまでの時間で、闘鶏神社にお詣りしておくことにしました。
田辺の中心地にある古い由緒を持つ神社ですもともとは熊野本山の別宮として、熊野の神を祀り、山中の熊野三山まで行けない人々がここで遙拝したとあります。



熊野水軍が源氏方につくか平家方につくかを迷ったとき、この神社での「闘鶏」で決したとの伝承により、闘鶏神社との名になったそうです。
熊野水軍は源氏方に与することで、壇ノ浦の合戦に大きな影響を及ぼしました。

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桜は七分咲き。さてこれからお天気次第で熊野三山では満開の桜を見られるかもという期待に胸ふくらまし。



古い由緒をもつ神社だけあって、非常に端正なお社です。朝早めだったので空気もとても清澄。他に参拝客もおらず、この空間を独り占めとは贅沢な。



御祭神は速玉之男命・事解之男神。速玉之男命は熊野速玉社の御祭神ですからわかるのですが事解之男神とは?
こちらの解説によれば速玉之男命とは対になる関係のようですが。

熊野三山の神様はとにかく不思議です。9世紀ごろまでただ熊野坐神(くまのにますかみ)であったものが神仏習合などが複雑に絡み合い、熊野権現とされたようで。



社殿には数多くの摂社がならんでいます。イザナギ、イザナミをはじめとする記紀の神々がご祭神。



闘鶏神社の伝承にならって、闘鶏を行った熊野別当湛増と弁慶(湛増の子だと伝えら れています)の銅像が立っています。闘鶏をやっている場面をうつしているようです。



弁慶が熊野別当湛増の子であるというのは定説にまではなっていないそうですが。
こちらの案内板には義経の命で弁慶が父親の別当に要請し、源氏に味方することを決する闘鶏にいたる場面が、活き活きと描かれています。

熊野水軍が、西日本が地盤の平家方から源氏方へと乗り換えるという大きな政治的状況の裏で、こんなドラマがあったのかもしれないですね。



なにはともあれ、地元のヒーロー、武蔵坊弁慶を祀る社までありました。



闘鶏神社の神殿の裏には、大きな鎮守の森「仮庵山」があります。南方熊楠はこの森をクラガリ山と呼び、植物研究のための採取の場とした活き活きとした生態系を持つ森を愛したとのこと。



社の裏が、そのクラガリ山のようです。自然の植生を残した森が玉置社から垣間見えます。
南方熊楠は神社とは社ではなく、この森そのものである、と書き記しています。各地の神社を廻って、その鎮守の森の多様性を見るに付け、つくづく森林保護の観点からの神社の働きの重要性を感じます。



境内の真ん中には、これまた南方熊楠が保護しようとしたものすごく立派な大楠の木が。
確かにこの立派な木を切ろうというのは、もったいない。熊楠からさらに成長した古木はその荘厳な姿を保っています。



大楠の根下には、地蔵尊か神像が祀ってありました。熊楠が護ろうとした木が今、そこにあります。
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