朝食が終わったら、すぐに帰らねばならないのですが、前の日に行き損ねた銅(かね)の鳥居にだけは見てみたい。
そこはマイカーの機動力。帰り道に寄ってみました。
[7回]
本来なら、いちばん里に近いのが、このケーブルカーの「幸駅」です。ただJRの駅からこのケーブルカーの駅までのバスは本数も少なくていささか不便ですね。車がないとなかなか行きにくい。
朝からケーブルは稼働していました。
お目当ての銅(かね)の鳥居は「幸駅」からすぐのはず。
この日もとても天気が良いです。
見回すと鳥居らしきものが。
「銅(かね)の鳥居」は佐賀藩主鍋島勝茂の寄進による青銅製の鳥居だそう。
朝の光に鳥居が鈍く光り、清々しくも美しい。
創建された当時は、恐らくは黄金色に輝いたことでしょう。(青銅は銅の混合比次第で黄金色になります。 )
私としてはこの年月を経たいぶし銀のほうが好きですが。
英彦山の文字はは霊元天皇の宸筆のうつしだそうです。霊元天皇は英彦山の「英」の字を与えた方ですね。江戸時代まではこうやって厚く庇護されていたようです。
鳥居の向こうは表参道。この石畳の道が、遥か奉幣殿まで続くのです。
参道の両脇には明治の廃仏毀釈で追放されてしまった修験道の行者たちの屋敷跡が並んでいます。今は石垣が残るのみ。
とても残念なことに英彦山の修験道はこの時に全て破壊し尽くされてしまったそうです。
この愛らしい神像は点内護法神です。参拝人の中に不埒な心構えのものがいないか入り口で見張っている神様だそう。つまりはセキュリティチェックです。これに監視カメラを仕込むとちょっとしたハリウッド映画の小道具ですね。
もともとは七つの山門への入り口すべてに設置されていたようです。
お名前は高木神とされています。『古事記』では高御産巣日神(たかみむすびのかみ)の別名とされています。天孫降臨に関わる位の高い神様ですが、門番にされちゃうんだ。うーん、日本の神様の取り扱いというのはよくわかりません。
こちらは表参道を少し登ったところにある下宮(しもみや)。修験道が盛んだった頃に祭に使用された御旅所のようです。
大きな杉の木神木があったりと、往時を偲ばせます。
場所によっては木々が少しだけ色づいて、秋の訪れを告げています。
久しぶりにリフレッシュして、家路につきました。
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