バスを降りるとすぐに弁慶のお墓がありました。実際に武蔵坊弁慶という僧兵くずれの従者はいたようですが、彼の活躍と言われるものは、ほとんどフィクションなのです…。でも人々のロマンを託されて、弁慶は義経とともに永遠のヒーローなのでしょう。
中尊寺は結構な山の上にあるので、参道を徒歩で登っていかなければなりません。
かなりの急傾斜です。これは元気でないとなかなかツライかも。若いうちに訪れておくべきところなのかも。(どっかに別の車道はあるのかもしれませんが。)
まずは本堂に参詣しました。折からの菊まつりで、綺麗に飾り付けられています。
おまつりの時のお寺の五色の幡っていいですね。染料が貴重だった時代には美しく五色を出すことは至難な技だったようです。あのビビッドな色というのは、化学染料でいくらでもどきつい色の出せる現在とは、また別の意味合いがあったのでしょう。
菊まつりで、華麗に細工した菊が飾ってありました。どれも見事な花を咲かせて、どれも素晴らしい技術と丹精の賜です。
本堂を離れ、金色堂への道をさらに進みます。紅葉に飾られた道を歩くので、とても楽しいです。さすがにイベント中とあって、人通りも結構混んでいます。みんなデジカメや携帯片手に紅葉を撮影。
竹の手すりにたれを座らせて記念撮影。毎度のことですが、たれぱんだのいる風景はそれだけでヘンです。
ところでどころに、小さなお堂があって、それぞれに仏様が安置しています。
目に御利益があるという峰薬師如来。なんだかアダムのような旗が気に入っちゃいました。
金色堂の近くの三重の塔も菊でおめかし。
金色堂の前にも、芭蕉の句碑がありました。
五月雨の 降残してや 光堂
とあります。
私が尋ねた時と季節が違うけれど。山の中にひっそりと息づく華麗な金色堂の姿が思い浮かびます。
その金色堂です。豪華絢爛たる内部は撮影禁止。とほほ。
リンク先の公式サイトからごらんください。
金色堂当時の平泉はふんだんに黄金が産出したそうで。その富でもって、地方に強大な宗教国家を築こうとしたのが奥州藤原氏。
4代にわたる当主の亡骸が安置されている金色堂はその中心とも言えます。
螺鈿の柱に囲まれた黄金の仏たちは、金色の囲い堂に覆われ、さらにそれを近代的な囲い堂の中に安置されています。
なんか昭和30年代にこの金色の囲い堂は出来たらしいのですが、正直なところコレがジャマしている感があります。
せっかくの螺鈿と時代を経ていぶしたようになっている金の仏像を、ベカベカの真っ平らの金を持ってきたら冗長すぎる。
だから平泉展の時に見たレプリカのほうが、個人的には好きでした。
まあ、そういう風に、「浄土」に美術的なモノサシを入れちゃうのはお門違いかもしれませんが…。
個人的にはこの竹林の美しさのほうに目がとまりました。
紅葉がよく映えています。
中尊寺のよさは、金色堂のみにあらず。美しい森に囲まれた閑かな佇まいこそ大事に刻みたいと思いました。
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