湯の峰温泉への未練を残しつつ、目的地熊野本宮へと、ふたたびバスの旅。新緑と桜の美しい車窓ですが、なかなか写真を撮るのは難しい。あっと思った時にはバスは通りすぎちゃってるから。
そして、熊野古道においての最終目的地、熊野本宮へと辿りつきました。
またまたこの石段を越えねばなりません。
速玉神社を除いて、何処へ行っても石段、石段。熊野古道は足腰強くないとキツイです。
[2回]
熊野本宮前の門。実は撮影はここまで。拝殿の中は撮影禁止とのことでした。
ううむ、かなり残念です。
しかし、門の上を飾るしだれ桜の見事なこと。
さすがに古い神社だけのことはあります。
熊野本宮大社と呼び習わしていますが、古い名称は熊野坐神社(くまのにますじんじゃ)です。
主祭神は家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)もしくは熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉です。もともとは熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉には名はなかったようで。
紀ノ國を統べたとされる素戔嗚尊とされたりその他太陽神、水神、イザナミなど、いろんな説があるようです。
那智大社や速玉大社と違い、丹塗りではないことが余計にその厳粛な雰囲気を醸し出しています。撮影可能な門の下で、看板だけ撮りました。
その美しいお社はこちらの
公式サイトからご覧下さい。
境内には八咫烏ポストがあって、八咫烏の葉書を運んでくれるそうです。
ちょっと面白いですね。
神様のお使いも多角企業化でしょうか。クロネコならぬクロガラス宅急便とかいいかも。
本宮大社にお参りした後、大斎原に向かいました。
熊野坐神社はもともと熊野川の中州の中に建てられていましたが、明治の大洪水の被害により現在の高台に移されました。大斎原はもともとの社があった場所です。大斎原の前には大鳥居がたっています。
折しも、桜の季節。大鳥居の下、美しい桜が満開を迎え、まるで拡がる裳裾のように彩りを添えています。
天は晴れ。桜(はな)は満開。西行法師の歌が思い出されます。
願わくは花の下にて、と。
この季節に、この時間(とき)に、よくぞこの場所に訪れた、と、この僥倖を神仏に感謝したくなりました。
鳥居がとても大きいのでまるで小さな桜の木のように見えますが普通サイズです。
このスケール感が写真ででないのは、残念。
せっかくなので土手のほうから撮ってみました。
でも、やっぱり逆光w
大鳥居に見とれてばかりはおられません。肝心の大斎原に行かなくては。
清浄の地、大斎原。
ここに本宮があったころはさぞ立派なお社が建っていたのでしょう。
熊野御幸がさかんだったのも、熊野川を船で下ることで、この本宮まで行きやすかったためでは、と思われます。
大斎原にも咲き乱れるしだれ桜が。
まるで夢のような光景です。
しかし花粉のほうも飛び交っているらしくて、くしゃみが止まりません(笑)
ひょっとかして、この清浄の地は、俗世に穢れきった私の身体にはあっていないのかもw。
なんとなく漫画版のナウシカみたいじゃありませんか。
それはともかく大斎原には祠があって、本宮とは別の神様が祀られています。(こちらも撮影禁止のようでした。)天照大神の息子、忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)をはじめとする中四社、下四社の神様たちです。
その中に、水神ミズハノメの名を見つけて、ふと阿須賀神社の神主さんから言われた言葉を思い出しました。
「神様に会いにきたの?」
はい。ミズハノメ様に会いに来ました。
記紀神話においては、金山神、埴安神とともにイザナミの病気、死、排泄物といったものに結びつけられてしまいました。しかし、川、雨、井戸の神として変わらぬ信仰を人々から捧げられた神様です。
熊野川・音無川・岩田川の合流点となる大斎原に、これほど相応しい神はおられぬでしょう。
私見ですが、時に数々の水の恵みを与え、時に荒ぶり大洪水を起こす「川」というものは、身近な神の原型のようなものであったのではないかと思います。
くしゃみしつつも、しばしそのような感慨に浸っていましたが、快晴であったはずの天候が急に変わり、肌寒くなってしまいました。山の天気は本当に定めがたい。
もう一度祠にご挨拶して、大斎原の地を後にすることにしました。
帰りのバスを待つ間、バス停の前の世界遺産センターに入りました。こちらでは熊野古道を歩くひとたちのために荷物の預かりや、各種の便宜を図ってもらえます。
いろんな熊野の資料や映像なもあって、非常に興味深いです。
さすが世界遺産。厚いサポートです。
館内には熊野三山のカラスの熊野牛王符もちゃんと三種類飾ってありました。
さて、これで熊野三山踏破ミッションコンプリートであります。紆余曲折いろいろありましたが、当初の予定通り、三山を一挙に回ることができて、ものすごい満足感。
ラスボス倒した感じw桜咲く大斎原の光景を胸に刻み、熊野の地を後にしました。
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