熊野本宮から来た道を帰り、新宮からの夕方の列車で南紀白浜に向かいました。
まあ、こんなことならば、もう一日新宮に居ればよかったと後悔しましたが。
一人旅はよくばりすぎちゃダメですね。でも、まあ、熊野三山を踏破できたので、旅行は大成功でしょう。
車窓は熊野灘。補陀洛渡海の海です。あらためて、遮ることのない太平洋だな、と。
海は見慣れていますが、湾の中の海とはやはりひと味もフタ味も違います。
多分串本辺りでしょうか。漁港の近くで静かに日は暮れていきました。
そして南紀白浜の駅に到着した時には日はとっぷりと暮れておりました。
普段、一人旅の際には日が暮れる前に宿に入ることを鉄則としておりますが、仕方ありません。駅からタクシーでホテルに向かいました。
宿はちょっと面白いマンション風でしたが、着いたのが遅くすぎました。
チェックインこそ電話連絡で対応してもらえましたが、その後は係のひとがいなくて温泉の場所や近くのレストランを聞くこともできずw
もそもそと手持ちのクッキーを食べて空腹を紛らわしました。(淋)
せっかく白浜に来て温泉に入れなかったのは残念だったけれど、もうくたくたに疲れていたのもあって、さっさと寝ました。
翌朝、さてどうしましょう。一応南紀白浜に来たのだから、有名どころの観光地もまわってみることにしました。
バスで三段壁という景勝に行くことができるようなので、街の見物も兼ねて。
南紀白浜の街は、大型の旅館やホテルが建ち並び、いかにもな温泉地。あー、こういう場所は松島と同じでひとり旅にはツラいのよね。
団体やファミリーで楽しく来る場所なので、ひとりは結構肩身が狭いのです。
それでも三段壁は、かなり豪快な景色。見渡す限りの大きな海を、浸食された岩が彩ります。日本海側で言えば、丁度東尋坊とかそんな感じ。
さすがに自然の造形は素晴らしいなあ、と。
とはいえ、いつもの如く高所恐怖があって柵に近寄れないんですけどね(^^;;;
ふと見ると三段壁舟隠しの洞窟とやらが。つまりこの三段壁の下には洞窟があるらしく、高速エレベーターを使って地下38メートル下の洞窟まで降りることができるのだそうです。
高速エレベーター内にはガイド役のお姉さん。説明を受けながら結構長い距離を降りるのでびひりました。(エレベーターのなかでは観光客は私一人でした。)
エレベーターで降りると、熊野水軍の軍船が置かれていました。団体客記念撮影用なので、喜んでたれ写真に利用させてもらいました^_^
さて中身ですが、暗くしめったホンモノの洞窟です。当たり前か。心なしかひんやりとした空気。
熊野水軍の軍船図です。
江戸時代に街道が整えられる前は、海上交通は非常に大事だったはずです。(勿論江戸以降も大規模輸送はやはり船舶だよりでしょう。)
そして海につきものは海賊。通りかかる商船を襲い、通行料をいただくってヤツですね。襲わずとも、あらかじめ通行料を払えば、他の海賊から守ってくれていたのかもしれない。
だから水軍は力があった。熊野水軍は瀬戸内海を抑えていたそうですから、その力は強大です。
そして源平の壇ノ浦合戦でまで大活躍したというのだから、軍事力のみならず政治力は侮れないものがあります。
もしかしたら、天皇や公家の熊野詣でも、熊野の宗教的共同体とともにこの水軍とのつながりを保つためだったのかもしれないとついつい想像がひろがります。
こちら洞窟の番小屋のようです。
交替でこの洞窟に詰めていたんだろうな。洞窟での生活は厳しく質素、しかし、武装はしっかりと。
船を引きつけて固定し、乗り移るための武器など、剣呑なものも転がってます。さすが海賊。
海に面した洞窟からの出口では、どっぱーんと波が入り込んできて、なかなかの迫力。
ここに軍船を置いておいて一丁ことあらば、荒波に出航していったんでしょうね。
この時点では干潮だったので、満潮ならばもっと迫力があったとのことでした。ちょっぴり残念。
でも、充分に潮の迫力は味わえました。
さすが密教の聖地、熊野。洞窟の中でも、神仏は欠かせません。弁天様の像を飾った祠がありました。牟婁大辯財天(むろだいべんざいてん)。おそらく水の神様として祀ってあるのでしょう。
洞窟の中だけに怖さ妖しさ爆発です。16童子を従え、六臂には独鈷など武器を持っています。頭の上には鳥居。遠くて見えませんが、多分鳥居の向こうには宇賀という蛇神様が乗っています。所謂宇賀弁天と呼ばれる神仏混淆のお姿ですね。
まあ、板子一枚下は地獄の海の男たちですから、水神や弁天様の加護は欠かせないのかもしれません、
洞窟をでて、千畳敷と呼ばれる浜のほうにも行ってみました。ごつごつした岩場はとても歩きにくい。
躓いて膝を打ったのはナイショw
それにしても、海の浸食による地形はかくも面白い。
面白いといえば、南紀白浜のポスターにもよく使われているこの双子岩。
バスの中から拝見しました。
結局まわれたのは三段壁だけ。もう少し時間があればという感じです。
南紀白浜は熊野古道めぐりとは別の時に来るべきだったのかもしれません。
さてながらく続けました熊野古道の旅の記録ですが、これにて終わり。
計画をたてた時には、こんな長い旅をどうしようと思いましたが、熊野はワンダーランド。これでもまったく足りません。また、是非訪れたいと思います。
[2回]
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