阿須賀神社をおいとまして、今度は浮島の森を目指しました。
実は新宮に来るまで「浮島の森」の存在について全く知りませんでした。
しかし街を歩いているとよく看板を見かけるし、観光案内でも尋ねるべき場所とおすすめしてあるし。
新宮市街の真ん中のこんもりとした自然林、それが「浮島の森」です。
一体何があるのかちょっとワクワクです。
[5回]
入場料は200円なのですが、入り口とところで大変丁寧な説明を受けました。(正直、200円では申し訳ないないような丁寧な解説でした。またまた南紀ホスピタリティの発現です。)
解説によれば、浮島の森とはビート(泥炭)で出来ている島だそうです。
ピートとは植物の遺骸が堆積して炭化したもの。イギリスやアイルランドのウィスキーの香り付けを兼ねた燃料として知られています。本来は寒い気候の場所に形成されます。
南紀のような温暖な気候の土地に何故なのか。一つには、この池に流れ込む地下水が豊富で非常に冷たいせいといわれていますが、決定的なことはわからないそうです。
写真はこの浮島の森に生息している数多くの植物です。
浮島自体が天然記念物も指定されていますが、その森も非常に特徴があります。本来は南紀の気候では見られない植物やシダ類が観察されたり、低湿地なのに高原の植物が見られたりと、複雑な混成群落となっているというとても珍しい森なのです。
さて森の中に入ってみましょう。
その昔には、風が吹く度に島全体がゆれる文字通りの浮島だったそうですが、宅地開発などで環境破壊がすすみ、水温が高くなってしまった故か、残念ながら島がも動くことはもうないのだとか。
現在は拡がった宅地を整理し、生活排水の流れ込みなどを排除して、なんとか保護につとめられているとのことでした。
浮島の森の中は、保護のための木製の通路が用意されていて、歩きやすいです。
街の中にこんな自然のサンクチュアリが残されているのは、素晴らしいことです。地元の方の尽力が偲ばれます。
さすが、南方熊楠の紀州。
通路に沿って歩くだけですが、自然の荒々しさが、やはり作られた庭とは違います。
東西にして85mくらいですから、そんなに距離があるわけではないですが、鬱蒼とした深山にはいったような気分になります。
ここはもともと速玉神社の修験道の道場だったのだとか。そんな歴史がまた神秘的な雰囲気を醸し出しているのかもしれません。
さてこの「浮島の森」には不思議な伝承があります。
若い娘が薪取りにいき、森の奥深くにわけいったところ、井戸の蛇にのまれてしまったというものです。
森の中には井戸というか、小さな深い沼があって、表面からはただの水たまりにしか見えません。しかし、その深さは何十メートルにも及んでいるそう。一種の底なし沼ですね。
少女がこの井戸にはまってしまったことのアナロジーが、蛇に飲まれたことになっているのか
はたまた修験道の道場故の女人禁制の喧伝だったのでか。
浮島という不思議とともに、どこか幻想的なこの伝承のイメージとに触発されて、上田秋成の「雨月物語」中の「邪淫の性」という短編が書かれたそう。
(もっとも「邪淫の性」は伝承とは別のお話で、あくまでもそのイメージ。舞台が新宮であることだけが共通しているようですが。)
森を抜けて、外側から見た浮島の森です。
本当に不思議な場所でした。
徐福公園、阿須賀神社、浮島の森と気分の赴くままに歩き回ったので、疲れて喉も渇いてきました。
ちょっと商店街のアーケード中に素敵な喫茶店があったので、ちょっと立ち寄ることに。
「きゃろっと」というお店。
偶然ですが、徐福が求めた不老長寿の秘薬ではないかといわれる「天台烏薬」のゼリーという珍しいものがいただける喫茶店でした。「天台烏薬」は実際抗酸化作用があるそうです。
この日はほんと徐福づいていますね。
その「天台烏薬」のゼリーと紅茶のセットをいただきました。
不老長寿の味は、涼やかで、それなのに歩いて疲れた体がほんわかと暖まる、そんなゼリーでした。まあ、歩き疲れていたせいもあるけど。
喫茶店なのに、小さな坪庭があって、目も癒してくれます。
いわゆる観光地という感じではありませんが、新宮はとてもよいところです。
大型バスは「速玉大社」かせいぜい「神倉神社」だけを見て、大急ぎで通り過ぎてしまいますが、こうやってゆっくり歩くとそこかしこに歴史ある街の「不思議」を感じます。
ご多分に漏れず新宮も人口が減少しつつある地方都市のひとつです。どうしても交通の便が悪く、若い人は名古屋にでていってしまう。また観光客はとなりの那智勝浦にとられてしまう。
けれど、ゆっくりと熊野古道を楽しむ基点としては素晴らしい場所で、もっと人が観光に訪れてくれたらいいのにと思いました。
大雨のために、この日はお休みと思っていましたが、思いがけなく新宮観光を満喫できました。
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