新宮3日目。目が覚めると大荒れのお天気。台風のような強風とたたきつけるような激しい雨。この日は熊野本宮に詣る予定だったのに、この荒天では山中に入るのは無理そうです。
那智山詣でかなり疲れていたので、ここは諦めて少し休憩をとる以外になさそうです。
ビジネスホテルの狭い部屋で午前中はうとうと。はっともう一度目が覚めると、さっきの大雨がウソのよう。晴れ上がった南紀の青空が拡がっていました。
こうなると少し欲がでます。本宮に行くには時間がありませんので、近場で行き損ねた場所にちょっと行ってみることにしました。
中国の史書、史記に名を残す徐福は、秦の始皇帝に命ぜられて不老不死の薬を求めて船出し、結局戻らなかったという人物です。
彼が目指した蓬莱は東の海にあるとされる山。それが日本であると言われています。
日本各地に徐福の伝説は残り、ここ新宮も徐福が目指した蓬莱とされる山があり、当時の先進国「秦」
の技術がもたらされたとの伝承があるのです。
その徐福を記念した公園が滞在したホテルのすぐ側。人目をひく派手な作りの門が建っています。
[4回]
中には徐福の石像が。
池に文字の書いた石碑などがあってなかなか凝ったつくりです。
中国からもこの徐福公園への訪問があるとのことです。
さて、徐福公園を出て、今度は阿須賀神社に向かうことにしました。新宮の街は手頃なつくり。コミュニティバスもあるようですが、歩いて観光名所にアクセスできます。
道路の真ん中には、熊野古道を表すパネルが埋め込まれています。熊野古道は都市の中にも。
ここもまた、平安時代から人が巡礼を旅した路なんですね。
さて、阿須賀神社は蓬莱山のふもとにたつ神社です。この蓬莱山をして徐福が目指した場所とみなしたようです。
阿須賀神社の御祭神は事解男命(ことさかおのみこと)と熊野三神です。速玉大社と同様、古い歴史をもつお社。平安時代の熊野参詣の際には必ずたちよる神社のひとつであったとのことです。
熊野川のほとりという位置からいっても、暴れ川を鎮め奉るためにつくられた社のように感じます。
境内からは弥生時代の祭祀の遺跡が発掘されたそうですので、蓬莱山も含めて古くからの信仰の場であったのでしょう。
ここの桜はちょっと遅め。目に染みる南紀の青空の下、初々しくもはにかむ桜が美しいです。
社殿に詣ろうと近づくとどこからかフルートの音が。
こちらの社の神主さんは、フルートの演奏をされるということで、お話を伺い、一曲私のために演奏していただけました。古い神奈備と笛の音、なんとも雅なものです
珍しい女性の一人旅に「神様に会いにきたの?」と問われました。
まあ、もしかしたらそうなのかもしれません。
正確には信仰ではないのですが。古い神様がどのように信仰されてきたのかは、私にはとても興味があります。
私はそのために歩き回っているのかもしれません。
PR