善光寺付近こそ、街が集約していますが、少し車を走らせるとすぐに深い山に入ります。さすが日本アルプスをいただく長野。
そして、そのダムの多さは想像以上。何年か前、脱ダム宣言という言葉が有名になりましたが、行ってみると、この言葉の持つ切迫感を納得します。
とはいえ、緑深い山の中、ダムに架かったこの赤い橋はきれいでした。後から橋の名を調べたのですがわかりません。
橋の上から見る満々と水をたたえたダム湖。
そうして、バスは鬼無里のバスターミナルに到着。
有名な観光地でもないし、普通の山村のバスターミナル。当たり前。
静かです。バスの会社の人以外、誰もいません。
バスターミナルから至近の鬼無里神社に行きました。古くて由緒ありげで。立派な社です。
ここも静か。
ちゃんと
鬼無里観光協会があって、確か「おでやれ鬼無里」というキャンペーンやってるはずですが、
なんとも静かな住宅地という感じで、なんというか、観光で覗くにはちょっと場違いなところにきちゃったのかもなぁ。人の賑わいもないし。おまけに天気も急に悪くなってきました。
民宿などもあるので、観光客が0ということはないのでしょうが、なんとなくひとりで歩くにはもの淋しいのです。
歌舞伎や能では、超自然の力をふるう悪鬼羅刹が美女の姿をとったものとされる紅葉ですが…。
鬼無里では、都落ちした紅葉が人々の病気を治し、女子には裁縫、男子には読書算用を教え、慕われたという伝説があるそうです。
紅葉は鬼女ではなく、たおやかな貴女と呼び、そのもたらした徳を、いまでも慕っているとか
これはちょうど安曇野の六面大王の伝説が、場所によってその評価を変えていたのと、似ているのかもしれません。(ちなみに、岩山にこもって抵抗したというのも似てます。)
明科で見た説明では紅葉が六面大王の妻とされているものさえありました。六面大王は坂上田村麻呂の時代、紅葉は平安中期とちょっと時代設定が違いすぎるんじゃないかと思いますが(^^:::。
二つの出来事の類似を見て、伝説がそう変化したのか。
いろいろと、想像を逞しくしつつ。
眼下に広がる平和で静かな、日本の原風景のような段々畑。
これを見て、満足して再びバスで帰りました。
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