日を改めての水曜日。今度こその石橋美術館、
高島野十郎展にリベンジです。
この展覧会は、九州新幹線の開通の記念として、開催されたようです。故郷、久留米への里帰り展。
[5回]
高島野十郎展では、初期作品から、自画像。欧州への外遊の際のスケッチの数々。写実的な風景画、精緻極まりない静物画など、130点に及ぶ作品が展示されていました。初期から欧州でのスケッチには、ゴッホやマネの大きな影響を感じますが、どこか透明で、穏やかな色使いは、日本画の趣を残していています。
そして、光への強い執着。
風景画の中の飾りであった月が、段々に月そのものとして描かれるようになっていきます。画家は月ではなく闇を描きたかったのだ、と説明にありますが、なるほど、闇に穿たれた覗き孔のようにも見えてきます。
美術館の館内には、鑑賞に疲れたひとが、休息をとれる部屋が用意されています。絵の迫力に負けて、 ちょっと、一休み。
炎暑の中ですが、適度に冷房が効いた室内から庭を見ることができます。静かで、いい雰囲気。
じっくりと本館を観覧した後ですが、まだまだ野十郎展は終わりません。別館には、野十郎が、名刺がわりにと贈り続けた「蝋燭」の絵が、19枚も展示されています。
暗い展示室内を埋め尽くす「蝋燭」は圧巻です。近づいてみると意外なほどに大胆な筆使いでありながら、ある距離に離れると、その焔の熱さを感じられるように写実的に見えてきます。そして、静止画のはずなのに、焔が揺らめきはじめるのです。これこそ、絵画の持つ蠱惑。
一番に思い浮かんだのは、落語の「死神」です。死神に連れていかれた祠の中にひとの寿命をあらわす蝋燭がいっぱいあるというアノ話しです。もっとも、この噺の元ネタはギリシャ説話だそうですから、人の生命を蝋燭に見たてるのは、洋の東西古今を問わないのかもしれません。
野十郎は絵の主題について何も語らなかったそうですが、晩年に近づくに従って、その焔は一層に輝きを増したそうです。余命とさらに身を焼く絵画への執着と情熱、そんなものが読み取れる気がします。
別館を出ると、ワイルドフラワーの花壇に美しくラベンダーが揺れていました。
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