無量光院は、三代目藤原秀衡が建立した建物で、宇治の平等院を模してつくられた寝殿造りの美しい建物だったとか。新御堂(にいみどう)と呼ばれ、平等院よりもさらに規模が大きかったそうです。
しかし、現在に乗るのは土石や礎石、そして池の跡。そして無人の野を渡る風だけ。
天気が悪かったので、望むべくもありませんが、ここから金鶏山に沈む夕陽が見られたとか。どこまでも、西方浄土を意識した建物だったようです。
そこを歩く物好きな観光客もほとんど見かけません。
無量光院跡から、徒歩で5分ほど、伽羅之御所(きゃらのごしょ)跡にも行ってみました。「吾妻鏡」にその名称が残る秀衡の邸宅跡のようです。
こちらはその跡すら定かではなく、一般の方の畑のようでした。芭蕉がここを訪れた時にはすでに、同じことで、「秀衡が跡は田畑となりて」と嘆いたと奥の細道にあります。
平泉は、悲しいことに、あまりにも目に見えるカタチで残っているものが少ないです。
あらかじめ、義経や奥州藤原氏についての知識を仕込んでいかないと、そこに当時を幻視(み)ることは難しいと思います。
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