嬉野が長崎街道の宿場町として栄えたころには、大名の本陣として使用されたなどの由来など。種田山頭火も、この嬉野に訪れているようです。
(私たちは見つけられなかったけれど、種田山頭火の歌碑もあるそう。)
長崎街道といえば、江戸時代で唯一の外国への窓である長崎への道ですから、往時の賑わいは大変なものだったでしょうね。
敷地にはいると非常に立派な山門に迎えられます。五色の幡が美しい。
山門には仁王像。古拙な雰囲気の石像のようでした。愛嬌がありますよね。なんか面白い。おまけに裸身ではなく武装しているのも、珍しい。そういう金剛力士像もあるのだそうです。
もうひとつ面白かったのが塀を支えるかのような小さな力士像。塀の両側にくっついてます。これも愛嬌がある。
境内の庭木はまことに美しく剪定されていて、本当に手がかかっているのがわかります。
金堂も立派。こちらがきっと大名の宿となっていたのでしょう。
当時の隆盛を思わせる大きくてしっかりとした建築です。
境内から逆の方向に山門を望んだところです。木々の緑も美しく。もみじが沢山ありましたので、紅葉の季節にはさぞ見事でしょう。うーん、11月の終わりくらいかな。
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