田辺でまず行きたかったのが、この
南方熊楠顕彰記念館。ホテルから歩いて10分くらいの距離にあるので、チェックイン 待ちにも最適です。
でも、横殴りの雨の中、傘も役に立たず。
その雨の中、見知らぬ土地なので、iPhone片手に少々迷いました。住宅地の中の少々わかりにくい場所でした。
南方熊楠。田辺出身の明治時代の植物学者、民俗学者。彼の業績を記念して建てられたのが、この南方熊楠顕彰記念館です。
[2回]
記念館は、えらく近代的なかっこいい建物でした。こういった個人記念館や美術館は全国に立っているようで、素敵でおしゃれっぽい建築が多いです。
エコロジスト南方熊楠を偲んで、内装も木を効果的に使ってあります。とてもアーティスティック。
南方は自然保護思想により、神社の合祀に反対し、鎮守の森が破壊されることを阻止する運動をしました。彼の思想が、後年熊野古道を世界遺産として保護することへと結実したとされています。
熊野古道を歩く前にぜひこの記念館に足を運びたかったのは、この故です。
南方熊楠先生の写真が飾られています。若い時から、晩年まで。
眼光鋭く、なかなかととのったお顔ですが、希代の風雲児の異相。一眼で忘れられぬ風貌です。
植物学、民俗学などその研究は多岐にわたり、ネイチャーにも50本以上の論文を発表(日本人では最多)、18カ国語を操るという多彩さ。
それにも関わらずというか、喧嘩でオックスフォード大学を追い出されるなど、とんでもない逸話に事欠かないお人です。逸話は書き切れないので
こちらのサイトで。
記念館には熊楠自身の著作や伝記などが置かれていて、自由に読むことができます。水木しげる作のマンガ「猫楠」をパラパラと読みましたが、フィクションまじりといえど、確かに明治の妖怪にふさわしき伝記でした。
熊楠といえば粘菌の研究で、記念館にもそのプレパラートが顕微鏡とともに置いてありました。
昭和天皇にキャラメルの箱に入った粘菌の標本を差し上げたという逸話があります。昭和天皇も彼の奔放な性格と科学者としての能力を愛でられたとか。
この日、記念館の特設展示は「和漢三才図会」江戸時代の百科事典で、南方熊楠は旧制中学に上がる前からこの本を書写していたそうです。
こらは「和漢三才図会」の中国地図のようです。なかなか精密です。
僅かな窓しかなかった鎖国日本で、鎖国していたからこその知識への飢えが感じられます。
南方熊楠顕彰記念館の隣には、熊楠が生前住んでいた家が保存されています。
玄関で迎えてくれたのは、おそらく円空仏。雨にうたれつつほんわかとした風情。
広い縁台のある居間。南方の生前には膨大な書籍と書きクズと酒瓶が転がっていたに違いない(笑)
庭はまるでビオトープのように、自然のままを活かした作り。人工的に剪定をした庭も好きですが、こういった野原や里山をまんま再現した庭もまた趣き深いです。
熊楠の名の如く、大きな楠がありました。
紀の国らしく夏ミカン?も実っていました。
雨に濡れた椿。艶っぽい花です。
雨は雨で風情があって、なかなか楽しく時間を過ごしました。平日なこともあって観覧者は私一人でしたが、もったいない。もっと宣伝していいランドマークです。
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