伊都歴史博物館の至近に、細石神社という謎多き神社があるので、こちらも寄ってもらいました。
運転手がいると機動力には富みます。
さて、この細石神社、その昔は佐々禮石神社と表記され、ちょうど糸島(伊都国)の中心地で神田を多く持つ大社であったようです。
細石といえば、君が代の歌詞を思い出します。
ここといい、志賀海神社の神楽といい、君が代のルーツを北部九州に求める説があるそうです。どこも古く歴史ある社ばかりです。
[6回]
由緒によれば、祭神は磐長姫(イワナガヒメ)と木花開耶姫(コノハナサクヤビメ)の二柱です。
しかも、近くには南小路遺跡という紀元前1世紀の王墓と王妃墓があるとすらっと書いてあります。
つまりこの王と王妃はニニギとサクヤ?
コノハナサクヤビメは隼人一族の神もしくは女王という説もありますから、九州に墓があっても不思議はないのかもしれませんが。大和朝廷の確立者の墓がなぜ糸島なんだろう。
伊都国の中心で多くの尊崇を集めていたこの神社ですが、天正15年に豊臣秀吉により神田を没収されたと書いてあります。
太閤町割りで博多の再編成をした頃ですよね。太閤検地の一環だったんでしょうが、一体何があったのか、いやあ、想像をかきたてられます。
当時の面影はなく現在は村社となっています。中はとてもきれいに掃き清められていて、今も敬虔にお世話されているようです。
本殿です。大きなご神木がかぶさるように立っているのが印象的です。
ご神木の下には大きな岩があるとのこと。
摂社は3社ほどあるのですが、この石の磐座はなんとも由緒ありげ。
こちらも摂社。
簡素な石を祀ってあるものは、なんでも「八竜の森」から移設されたとのことです。
「八竜の森」はこの神社の東200m。木花開耶姫の御子、彦火火出見尊(ほおりのみこと)(山幸彦)の生誕地との伝承も。
山幸彦、海幸彦の話しって日向が舞台と思ってきましたが、いろんな伝説が各地にあるようです。
細石神社の近くにあって、同じく彦火火出見尊(ほおりのみこと)を祀る高祖神社もいってみたいなあ。
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