上古には奴国として大陸や朝鮮半島との海洋の重要基点であった志賀島。
その付け根にある古社、志賀海神社。
4世紀の景行天皇がこの社に祈祷したという記録が残っているほどの古い神社です。
また、この神社は「君が代」の元歌かもしれないと言われる神楽を、祭の際奉納するので有名なお社です。
この日、日差しは暖かいものの、海からの風はとても冷たくて海岸べりを歩くと震えるほど。
しかし、神域の近くまで辿り着くと、こんもりとした森の木々に海風は遮られ、新緑の木漏れ日に日向のぬくもりを感じるのみ。不思議ですねえ。
そういった過ごしやすい場所を選んで神社ってのは建てられているのかもしれません。
[6回]
緑の木々に囲まれた鳥居。ここが参道の入口です。
ここから緩やかに登りの道が続きます。
道すがら万葉歌碑がありました。志賀島は万葉集に多く歌われているので、こういった歌碑が各所にあるようです。
「ちはやぶる 鐘の岬を過ぎぬとも われは忘れじ 志賀の皇神」
皇神(すめがみ)はこの場合この社の主祭神、綿津見神のことのようです。
この石塔は、石造宝篋印搭と言います。仏典をおさめた塔ですから、神仏混淆の名残。
花崗岩が用いた古い石塔で、14世紀のもの。県指定の特別文化財だそうです。
参道をすすみ緑の濃い場所にでると、インパクトのある摂社。山ノ神と大きな鳥居に書いてあります。
大山津見神を祀った山ノ神社です。海神である綿津見神の本殿に行く前に、山の神が座すというのもなかなか面白いです。
志賀海神社の「君が代」の元歌ではないかという神楽を奉納する祭を「山誉漁猟祭」略して「山誉祭」というそうです。海の神様だけでなく山の神様にも感謝しなくちゃいけない。その気持ちが山誉め?
この「山の神」が丁寧に祀られていることに関係しているような気がします。
本殿を前にして大きな楼門が
楼門の前にはたいこ橋。
楼門を過ぎると最初に目につくのが、この遙拝所です。
立て札には遙拝所は対岸の大嶽神社・小嶽神社そしてはるか東の伊勢神宮を拝するとは書いてはありますが、この青い海そのもののような気がします。
そう思えるくらい青く光る海が美しい。
遙拝所の足もとには亀石が置いてありました。
なんでも神功皇后伝説にちなんだ亀石のようです。福岡は神功皇后ゆかりの伝承多いなあ。
海の神様、底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)の綿津見三神を祀る本殿です。
前述の「山誉祭」で奉じられる神楽は「君が代<だい>は 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで」で始まります。この後もいろいろと続くようですが、確かに「君が代」そっくりですね。
海の神様だけあって、海水を乾かした塩、お潮井が清めのために置いてあります。
本殿の横には鹿角堂という建物があって…
格子がはめられた中に奉納された鹿の角が一杯。なんでも一万本以上になっているとか。
つまり志賀海神社の神使は春日大社と同様鹿なのですね。
志賀島は近島の意なので、鹿の意味ではないので、言葉遊びみたいなもんでしょうか。
横に控えるようにあるのが、安曇族の祖である安曇磯良神を祀った今宮神社。
記紀には神功皇后の三韓征伐の際協力しその水先案内をしたとあります。
信州の安曇野のをはじめとして全国に安曇の名がついた地名がありますが、この志賀島の海人族たちが、全国に散らばったからという説もあるそうです。謎めいた不思議な海の神様です。
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